まー

デスクトップPC環境が死んでた間(いまも回復してないけどさ)、復旧的な作業をするのがどうにも億劫で本とか読んで延ばし延ばしにしてた。2chも見ないしエロゲもやらぬというむしろ健全な生活。

といっても脳味噌がすでにPC脳かつエロゲ脳だからてきとーに本読んでても物の考え方がそういう方向に行きがち。たとえばこのとき読んでた青山二郎の本にこういうくだりがあった。

 日本の陶器は茶道なしには語れないが、若し我々の様な門外漢が茶道の話に触れたら何うだらう。茶を持ち出したと言ふだけで、世間はソツポを向いて仕舞ふ。それは未だいゝとして、茶人からもマゴマゴすると笑はれるのだから、世話はない。

なんかこう、コピペのテンプレみたいに見えてくるときがある。

 モダンなプログラム言語はlispなしには語れないが、若し我々の様な門外漢がlispの話に触れたら何うだらう。lispを持ち出したと言ふだけで、世間はソツポを向いて仕舞ふ。それは未だいゝとして、lisperからもマゴマゴすると笑はれるのだから、世話はない。

妙にいい感じで思わせぶりな文章になってしまった。エロゲ置換は自粛。

ちなみに元の文章はこう続く。まあ、各自の脳内で置換してください…。

 日本古来の諸芸百般が近頃また盛んになつて来たらしい。新画、茶は申すに及ばず、書道とか花道とか、様々な芸道が銘々一つでは足らず数種の専門雑誌を持つてゐて、宣伝に勉めてゐる。世間では、これらの機関雑誌が月々発行されてゐる事は夢にも知らないのである。たまに、珍しい雑誌があるものだと思つても、その道に無関係な人間から見るとチンプンカンプンで、何の事やら分らない。
 一方、その道の方でも気が付いて見ると、ワイワイ言つてゐるのは(何十年経つても)同じ仲間許りで、世間は全くソツポを向いてゐると言ふのが嘘も隠しもない現状である。

 これらの様々な機関誌を一目見て分るのは、どの雑誌も一生懸命になつて世間に呼び掛けてゐる事だが――集まつて来るのは「新しい信者」だけである。新興宗教が何十万の人間を集めても、信者は信者であつて、それが世間では無いと気が付いた雑誌はない。(以下略)